情報がもたらす未来とは
2016/06/10
私たちにとって情報とは一体何をもたらしてくれるのでしょうか。
今そこにある現実でしょうか、それとも展望の開けた明るい未来でしょうか、はたまたとてつもない試練でしょうか、未曾有の悲劇でしょうか。
実は、情報というものは既に何度かご説明させて頂いている通り、非常に柔軟性のあるもので、その時々によって自在に姿を変えるものなのです。
よって、情報とは決して一つの形に収まるものではなく、時と場合によってその形状を様々なものに変えることができます。
つまり、先に挙げた例は全てが正解となりうるのです。
どのように転ぶかは、その情報の選択次第なのです。
今回はそのような情報が私たちにもたらすものを考えていきたいと存じます。
また、私たちの未来が情報によって形作られていくその過程もご説明したいと存じます。
情報がもたらすものとは
情報とは私たちにとって時に味方であり、時に敵となりうるものであります。
なぜなら、私たちにとって有益な情報をもたらしてくれることもあれば、不利益な情報をもたらすこともあるからです。
そして、私たちはそのような情報を日々選択することで、自らの未来を形作っていっています。
ひいてはそれが社会という大きな枠組みの中で機能し、私たちの生きる世界はもとより、未来をも形作っていくことになります。
つまり、情報とは過去・現在・未来すべてを行き来し、都度私たちの生活の中に溶け込み、私たちを導くものとしての存在なのです。
情報が現在・未来に通じるものであることは、先に説明した通りなのですが、過去がなぜ情報と紐付くかと言えば、過去からの情報が現在に伝わり、教訓や戒めとして今尚生き続けているからです。
また、未来永劫受け継がれていくようなものもあるかもしれません。
例えば、一つの事実である歴史などがそうです。
歴史とは先人たちが辿ってきた軌跡であり、私たちは過去の人々の行いから多くのことを学ぶことができます。
これらも未来に関わる大切な情報であり、私たちは過去の人間が犯した過ちを繰り返さないように、それらの史実を学ぶのです。
同じ轍を踏まないように先人の行いを教訓にすることで、私たちは未来を切り開くことができるのです。
したがって、情報とは過去・現在・未来において存在し、私たちの未来を形作るための礎となるのです。
これが未来が形作られていく構造なのですが、このような未来は必ずしも開けたものばかりではありません。
なぜなら、私たちは時に過ちを犯すことのある存在だからです。
情報がもたらす未来のあり方は私たち次第
私たちはこのような未来を形作る情報を、如何ようにも変えていくことができます。
なぜなら、情報とは私たちにとって不変ではなく、その時々に応じてその姿を変えることがあるからです。
確かに、何度も述べている通り、情報はそのありのままを受け取るべきですが、その一方で常に何らかの変化が加えられていくものでもあります。
そのようにして、情報は日々洗練され、より良いものとして確立していくことになります。
しかし、情報は、時に誤った認識により間違った方向に動くことがあり、その結果、望まぬ未来を生み出すことがあります。
例えば、情報格差による貧富の差や、資源を巡る争いなど、わたし達人間は今尚そのような不毛な争いを世界各地で繰り広げています。
このような争いは、古代から現代に至るまで幾度となく繰り返されてきました。
これらは、正しく情報が伝達されなかったことにより生じている悲劇なのは明らかです。
どこかの段階で情報が捻じ曲げられ、あるいは隠蔽された結果、誰もが平等な未来を受け取る結果とはならず、富めるものはますます富み、貧しい者はますます貧しくなるという格差を生み出していることは否定できません。
よって、今ある未来とは私たちが選択した情報の結果に他なりません。
本当は幾つもの世界線があり、その選択次第では私たちの未来はとてつもなく暗かったのかもしれません。
どのような選択を行うかは、その時々に与えられる情報によって変わってきますが、中にはその情報さえ与えられず、それらを選択する機会にさえ恵まれない方たちもいます。
より良い未来を形作るためには、先人たちの知恵は基より、私たちが如何にあるべきかを考える必要があります。
また、本来であれば、誰しもが平等に情報を選択する権利を与えられて然るべきです。
どのような未来を選択するにせよ、私たち一人一人が情報を平等に選択できる、そんな世の中になることを切に願います。
そして、情報の持つ限りない可能性を信じ、これからも歩み続けていきましょう。