情報は鮮度が命なのか?

      2016/06/10

多種多様の情報が行き交うこの高度情報社会において、情報の鮮度は如何ほど求められるのか、改めて考えてみたいと存じます。

情報の鮮度について考える前に、まずは現代社会において、私たちが情報をどのように日々活用しているのか考えてみることにします。

その上で、情報の鮮度が果たしてどの程度重視されるべきなのかを考えてみたいと存じます。

情報は如何にして活用されているのか

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昨今では情報を巨大なデータベースとして蓄積し、膨大なデータの集合体であるビッグデータを活用することにより、瞬時にして様々な情報がもたらされるようになりました。

データウェアハウスと呼ばれる巨大なデータベースの中から、法則性や規則性を見出し、様々な分野で活用され、多くの分野で大きな成果をもたらしています。

具体的にはデータマイニングと呼ばれる手法を用いて、データをパターン化し、一定の法則等に従って、膨大な情報を切り出すことで、新たな概念の創出や技術の開発、社会学的見地の研究等に利用されています。

社会学的見地をもう少し具体的に言えば、人間研究とりわけ、消費行動や投票行動等、人間の心理的な側面にまで及びます。

例えば、消費者の購買行動を分析し、商品の購入を促すといった使い方があります。
ネット通販がここまで浸透したのは、まさにそのような消費者行動の分析の賜物と言って差し支えないと思います。

また、過去の膨大なデータを使って新たな技術を開発することで、生活水準の向上にも繋がっています。

そして、忘れてはならないのは、そのような膨大な情報は日々生み出され、私たちの知らないうちに巨大なデータとなって蓄積されていっていることです。

つまり、私たちは知ってか知らずか、そのような知の巨人ともいうべき、情報のカタマリの中で日々の生活を送っているわけです。

いわば、私たちは自らが意識するとせざるとに関わらず、意図せずして情報に支配されていると言えます。

だからこそ、日々浴び続ける情報のシャワーをただ享受するのみでなく、自身にとって有益なものにしていかなければならないのです。

そうでなければ、私たちは巨大な情報の海に埋没し、自らを見失ってしまうことでしょう。

情報を取捨選択する必要性

それでは、その膨大な情報をわたしたちは如何に選別するのでしょうか。

先に述べた通り、日々与えられる情報をただ甘受し続けるだけでは私たちは日常生活を営むことができません。

膨大に提供される情報を全て受け取っていては、私たちの日常生活はたちまち破綻することでしょう。

なぜなら、私たちは常に情報を選択することで、自らの行動を判断し、それに基づいて実際に行動を起こすことで、日々の生活が成り立っているからです。

つまり私たちの行動には必ず選択が伴うのです。
全ての情報を受け切れるほど、私たちの情報処理能力は優れてはいないのです。

よって、取捨選択という行動は情報を語る上で外せない概念となります。

この選択という行動を通して、私たちは自ら情報を選別し、必要な情報のみを取り出しているのです。

そして、その必要な情報というのは、各人によって異なるため、各々が必要としている情報を各人が得る必要があるわけです。

以上を基に、情報の鮮度について考察していきたいと存じます。

果たして情報は本当に鮮度が必要なのか?

情報と言っても、速報性が求められるものと、必要な時に手に入れば良いものとがあり、前者は鮮度が命というべきものとなりますが、後者に関しては必ずしも鮮度が求められるとは限りません。

よって、情報の鮮度が求められるものとは、一刻も早く情報として提供しなければならない性質を持ったものとなります。

具体的には、人々がその情報をリアルタイムで欲しているもの、例えばニュース等になります。

そのような情報は、その時々のタイミングで存在していればよく、一度手に入れば殆どの場合それ以上必要はとされません。

よって、速報性があり、尚且つその場限りで情報を得られれば良いものとなります。

しかし、そのような情報は私たちが世の中の動きを知る上で重要なものも含まれるため、一過性のものであっても、情報の性質によっては看過すべきでないものもあります。

具体的には、その情報を得た後でも、引き続き必要とされる情報等になります。
例えば、新技術に関する情報や、社会現象に発展するような事象があります。

このような情報は、情報の鮮度が求められるだけではなく、その先も長きに渡り必要とされる情報になる可能性を秘めていると言えます。

また、既に定着したような事象等に関する情報は、速報性が求められるとは限らず、必要な時に手に入る形であれば事足ります。

つまり、確実に何らかの需要はあるわけで、うまく活用することでより良い情報が得られる可能性があると言えます。

したがって、情報の鮮度は必ずしも求められるものではなく、その情報のタイミングや性質によって判断されるべきと考えます。

また、既存の情報であっても、新たな情報と合わせることで、より洗練した情報を得ることができます。

私たちは、その膨大な情報に振り回されるのではなく、各人が一つ一つの情報を判断し、的確に活用することでこの高度情報化社会を生き抜いていけるのだと思います。

正しい情報を見極め、それを活用することで私たちはより良い生活を送ることができるようになるわけです。

情報の鮮度は確かに大事ですが、情報の必要性や正確性に着目して、正しく判断できる目を養っていきましょう。

 - 現代情報概論