情報の選び方とその可能性
2016/06/10
今回は、これまで述べてきた情報を実際に受け取る側の立場に立って、一体どのように受け取る情報を判断しているのかについて考えていきたいと存じます。
まずは、私たちは如何にして情報を選んでいるのかを考え、その上で情報が持つ可能性について探っていきたいと存じます。
情報は如何にして選ばれるのか
数ある情報の中から私たちは一体どうやって情報を選んでいるのでしょうか。
既に述べさせて頂いた通り、私たちは与えられる情報の中から、選択という行為を通して情報を活用しています。
その際、私たちは何を考え、どのような情報が自身にとってふさわしいと考えているのでしょうか。
恐らく私たちは、情報を選択する際、自身にとって有利に働く物を選んでいるのではないのでしょうか。
それが、どのような内容であれ、自身で良いと思ったものを選ぶことで、私たちは未来を形作ってきたはずです。
結果的に、それが自身にとって役に立つものだったのか、そうでなかったかを抜きにして、その情報を選ぶ際は、自身にとって不利益なものを敢えて選ぶことはしないと思います。
またこれまで述べてきた通り、私たちは情報に確実性を求め、不確実な要素を極力排除することで、その情報が正当なものであることを信じます
その先にある未来が明るいものであることを信じて行動するわけです。
つまり、私たちは無意識のうちに自身の未来を思い描き、その理想の姿に近づけるために情報を選択しています。
今ある自分より、より恵まれた自分になりたいと思って、情報を選んでいるのです。
よって、情報とは自身にとって未来のあるべき姿を描くための方法を得るための手段だと言えます。
少なくとも、情報を受け取り、その情報に従って行動する段階では、わたしたちは今より充実した未来を追い求めています。
しかし、実際には、手に入れた情報全てが私たちの想いを実現してくれるものばかりとは限りません。
明るい未来を手に入れる場合もあれば、そうでない場合もあるわけです。
それはつまり、選んだ情報が自分にとって有益なものではなく、不利益に働く可能性があることを示唆しています。
だからこそ、私たちは情報を選ぶ際には、無意識のうちに慎重になっているはずです。
誰しも失敗したくないという感情が働くと共に、そのような失敗経験がある場合はより一層慎重に事を運ぼうとするわけです。
その場合も、慎重に選んだ情報であるにも関わらず、より深みに嵌ることもあれば、明るい展望が掴めることもあります。
つまり、どのような情報を掴むかは、それを実行してみるまではわからないのです。
勿論、正しい情報を選んで、それを間違いなく実行できる場合もありますが、誰しもがそのような正しい情報を選択できるとは限らないわけです。
殆どの場合、私たちは過去の教訓や、成功者の体験を信じてそれらを実行するのではないでしょうか。
それでうまくいけば、その情報が自身に適した情報であったことがわかりますし、そうでなければ、先人や成功者のようにはうまくいかなかったということになります。
このように考えると、情報とは私たちにとって必ずしも平等ではなく、時に不平等に働くことがあるわけです。
しかし、その情報をどのように活用するかは各人に委ねられる以上、どう転ぶかはその情報を扱う者の資質や情報の持つ性質に拠る所が大きいと言えます。
いずれにせよ、私たちは自分たちが正しいと思える情報を常に追い求め、その情報を信じて未来を形作っていっているのです。
また、たとえ失敗した場合でも、それを糧にして私たちは次なる情報を得ることで、より良い未来を作ろうとします。
情報とはそのような失敗や成功を繰り返し、その度に洗練されてきたものだと言えます。
よって、情報は使われれば使われるほど、より磨かれ、私たちの未来を明るく照らしてくれるものだと言えます。
情報とは、時に正しく、時に誤りをもたらすものであると同時に、常に私たちに行動の指針を指し示すものでもあるわけです。
そして、私たちはそのような情報を信じて行動に移すわけです。
それでは、次にその情報が持つ可能性について考えてみたいと思います。
情報の持つ可能性とは
過去・現在・未来と情報が私たちに様々な恩恵をもたらしていることは既に述べた通りですが、具体的にその恩恵とはどういったものなのでしょうか。
今回は情報がもたらす恩恵について考え、情報が私たちにどのような可能性を示してくれるのか考えていいきたいと思います。
情報とは、先人の知恵や成功者、あるいは失敗者の知恵が詰まった知の集合体と言えます。
その中には、最初からうまく事が運んだものや何度も試行錯誤を繰り返し、数え切れない失敗を経て、ようやく形になったものも含まれます。
しかし、一見遠回りに思えるそのような失敗も、何度も繰り返すうちに洗練され、いずれはうまくいくようになるのです。
なぜなら、たとえ失敗したとしても、その経験はまた新たな情報となり、そのような情報が積み重なることでいずれ正しい情報として成立していくからです。
このことは誤った情報が、多くの情報を得ることで修正され、正しい情報に変わっていくことを示しています。
そのように考えれば、何一つとして無駄な情報というものは存在しないことになります。
少し極端な考え方ではありますが、私たちはどのような情報であっても、幾多の失敗を経て、少しずつそれらの情報を修正することができるわけです。
つまり、失敗も成功も全てはわたし達にとって恩恵となっているのです。
殆どの場合、失敗から成功に至っているケースが多いのではないでしょうか。
最初から成功できるのは稀なケースと言えます。
「失敗は成功の母」とはよくいったものです。
この情報が持つ修正能力が、私たちに希望を与え、今日の未来を切り開いてきたのです。
まさに、情報が持つ可能性は無限とも言えるのです。
過去そのようにして、様々な情報が生み出され、幾多の失敗を経て、今の世の中を形成してきたと言えるわけです。
決して、今の世が何事もなく順風満帆に形成されたわけではないのです。
そして、そのような紆余曲折を経て、私たちは情報を基とした未来に通じる文明社会や科学技術を手にすることができたのです。
これらは先人たちの失敗と成功の積み重ねにより成り立っています。
そして、これからも私たちは情報を使ってより良い未来を築いていくことでしょう。
情報が持つ無限の可能性を信じ、これからも私たち人間は幾多の失敗と成功を繰り返していくことでしょう。
その先にある明るい未来を目指して。