情報をコントロールする是非について
2016/06/10
今回は情報をコントロール(制御)することの是非について考えていきたいと存じます。
まずは、情報を如何にしてコントロールしてきたか、過去の歴史から紐解いてみたいと存じます。
過去の歴史から情報を紐解く
古くから「情報を制するものは世界を制す」と言われるように、情報を自在に扱える者は、いち早く有益な情報を手に入れ、他者より優位に立って行動を起こすことができます。
よって、先んじて行動を起こすことができれば高確率で成功できると言えます。
但し、その場合でも情報の質、本人の資質により成否が左右されることはあります。
しかし、その情報が他者が踏み入れたことのない未開の地であれば、ライバルが殆ど存在せず、そこで独自性や優位性を確立できれば、殆どの場合はそれほどの労もなく成功を掴み取ることが可能となります。
よって、誰も知りえないような情報を得て、いち早くそれを実践できれば成功を収める確率は格段に高まるわけです。
過去の歴史を紐解いてみても、時代の立て役者となってきた存在は、そのような他者にはない優位性や独自性を発揮し、大きな成功を収めている例が数多く存在しています。
例えば、一代で広大な帝国を築き上げたアレクサンダー大王や、歴代の中国王朝の皇帝、更にはシルクロード全土に及ぶ広大な土地を支配したモンゴル帝国等、交通の要所をその手中に収めた国家はその後、目覚しい発展を遂げています。
これらは時の為政者が、その強大な権力と情報網を駆使し、他者には真似のできない強力なネットワークを作り上げることによって成しえた大事業と言えます。
つまり、情報を制することで文字通り世界を制することができたと言えるわけです。
当時は、交易技術はもっぱら人の手により行われており、現在のようなネットワーク通信技術などは当然なく、それ故に多大な情報を手に入れた者はその情報を使って強大な権力を振るうことができたわけです。
今も昔も情報弱者と呼ばれるものは存在しており、情報を持たざるものは何時の世も、社会によって支配される存在でしかありませんでした。
しかし、高度に発展した現代社会では、誰もが情報を手に入れる機会が広がり、それらの情報をうまく使いこなせれば社会的優位に立つことができるようになってきています。
つまり、情報を得て、それを発信することで、私たちは利益を享受できるようになったわけです。
これは一昔前では考えられなかったことで、情報を発信できるのは、一部の権力者や有力者などごく限られた者のみでした。
しかし、現在では、情報を入手する機会に恵まれ、それを発信できる機会に恵まれれば、誰しもが有益な情報を発信又は入手できる可能性が生まれてきているのです。
それでは、私たちは手に入れた情報を如何に使っていくべきなのでしょうか。
次に、情報を制するとは如何なることなのかを考えていきたいと存じます。
情報を制するとは時代を制するということ
これまで情報を巡る過去の歴史を紐解いてきましたが、その中で顕著だったのが、情報を得た者はすべからく時代を制しているという事実がある点です。
情報とはそれほどまでに強大な力を持ち、情報を持つ者は持たざる者に対して絶対的優位に立つことができたのです。
このことは、現代社会にも通じるものがあり、情報を得た者は、それを持たない他者に対し、精神的に優位に立つと共に、実社会においても上位に位置することができるようになります。
具体的には、自身が持つ情報を他者に分け与えることで、利益を生み出し、その利益がまた更なる利益を生むという構造が確立されることになります。
つまり、自身が持つ情報を有意義に活用することで、社会貢献に繋がると同時に、持たざる者であった他者が情報を持つことで社会はより発展するわけです。
しかし、私たちは自身が持つ情報を無尽蔵に他者に与えるべきでしょうか。
最後に、今回の主題である情報をコントロールする意義について考えてみたいと思います。
情報をコントロールする意義
現在、高度に発展した社会の恩恵を受け、私たちは様々な情報を手に入れることができるようになりました。
それでは、私たちはその手に入れた情報を如何に活用しているのでしょうか。
又は、その情報を如何にコントロールしているのでしょうか。
実は私たちは意識するとせざるに関わらず、手に入れた情報に対し、知らず知らずのうちにブレーキを掛けていることにお気付きでしょうか。
なぜなら、自身が持つ全ての情報を仮に全て他者に提供してしまうと、自身の社会的優位性が失われてしまうことになるからです。
また、それまで確立してきた自己のアイデンティティも失い兼ねないため、私たちは情報を提供することに少なからず躊躇いを持っているのです。
恐らくこれは、過去何度となく繰り返されてきた情報を持つ者と持たざる者との確執が、そのような行動を無意識のうちに取らせているのでしょう。
そう考えると、わたし達人間というものは何と愚かな生き物なのだと思います。
しかし、情報格差による権力支配が現代社会の基礎を作り上げたのもまた事実です。
だからこそ、私たちはこれからも情報を求め、更なる発展を望んでいくのだと思います。
皮肉な話ですが、この高度に情報化された社会を作り上げたのは、そのような人々の情報を巡る争いがあったからに他なりません。
ですが、これからの世の中はもっと効率的に誰もが情報を正しく享受できるあり方に変えていっても良いのではと思います。
これだけネットワーク技術が発展し、瞬時に情報が手に入る時代にあっては、もはやそのような情報戦争は殆ど意味をなさなくなってきたと言えます。
昨今、与えることに徹する風潮に時代が動いているのは、そのような人間が本来持つ情報に対する欲求を一つのビジネスとして捉える兆しだと言えそうです。
まさに、現在の社会情勢を考えると、このような情報をビジネスとして確立するのに適した時代だと言えそうです。
もっとも、情報に関する問題はまだまだ山積しているのですが、それはまた別の機会でお話したいと存じます。