光宗薫の特技は絵で才能が凄い!AKB時代は拒食症?所属事務所は?学校はどこ?
2016/11/30
芸能人が、俳句、水彩画、生け花、料理の盛り付け、絵葉書など、
様々な分野に挑戦し、その才能の有無を査定していくことで、話題
を集めている「プレバト!!」
そんな毎週木曜日に好評放映中の当番組に、水彩画の特待生として、
7月14日(木)に出演される光宗薫さんとは、一体どのような方
なのか、気になったので調べてみました。
以前の放映で、何と満点評価を叩き出し一躍注目を浴びた光宗薫さんが、
特待生としてどのようなパフォーマンスを魅せてくれるのか楽しみですね♪
以下、光宗薫さんのプロフィール、学歴、経歴、趣味、性格、家族、
彼氏等について見ていきたいと思います。
光宗薫さんのプロフィール
名前:光宗薫(みつむねかおる)
生年月日:1993年
出身地:大阪府
血液型:O型
身長:168cm
スリーサイズ:82 - 61 - 82 cm
体重:不明
靴のサイズ:24.5cm
職業:アイドル、モデル、女優
所属事務所:フレイヴ エンターテインメント
備考:元AKB
愛称:かおる
細身でスラリとして綺麗な方ですね。
名字が独特で珍しい読み方ですね。
「みつむね」と読むそうです。
尚、光宗薫(みつむねかおる)という名前は、芸名ではなく、本名
だそうです。
TVアニメ「迷家‐マヨイガ‐」の主人公の光宗(みつむね)と同じ
ですね。
こちらは名前ですけどね。
どうやら、光宗という名字は、愛媛県松山市に特に多く、四国中部
地方を中心に約7500人ほどおられるそうです。
珍しい名字だとは思いますが、上記の地域では普通に見られる名字
なのだそうです。
1993年に愛媛県で生まれたそうです。
親が転勤続きで、幼少の頃から小学校3年生まで千葉県、広島県、
神奈川県を転々としたそうです。
親の都合とは言え、幼少期の多感な時期に、住む場所を転々とされて、
さぞかし苦労されたことと思います。
その後は大阪府に落ち着き、10年ほどの学生時代を過ごしたそうです。
生まれは愛媛県ですが、大阪で過ごした期間が長いことから、当人は
大阪をいたくお気に入りのようです。
インタビューでもはっきり大阪が大好きと仰られています。
3歳の頃からバレエ教室に通われていたそうです。
クラシックバレエを習われていたそうです。
今のスラリとした体型は、そのようなバレエでの稽古の賜物かも
しれないですね。
また、さぞかし柔軟な体をされていることでしょう。
このような幼い頃からの下積みが、彼女のアイドルやモデル、女優
としての基礎を作り上げたのでしょうね。
実際に、アイドル時代にその才覚を発揮して、メンバーの中で、
誰よりも完璧に振り付けを覚えたそうです。
きっと、自然と体が動くのでしょうね。
AKB48公式サイトでの愛称は「かおる」だったそうですが、渡辺麻友さん
・島崎遥香さんからは「カヲルくん」と呼ばれていたそうです。
また、一部メンバーからは「ミッツ」と呼ばれていたそうです。
NMB48・6thシングル「北川謙二」のカップリング「インゴール」の作曲者・
鈴木まなかさんは高校時代の同級生だそうです。
また、AKB48チームAの横山由依さんは1つ年上の先輩にあたるそうです。
それでは、次に光宗薫さんの学歴について見ていきたいと思います。
光宗薫さんの学歴
高校:長尾谷高校(通信制)
中学時代は、陸上部に所属され、長距離を走られていたそうです。
また、極限まで自分を追い込み、ストイックに競技に取り組まれていた
そうです。
その様相は鬼気迫るものがあり、周囲が心配するほどだったそうです。
子供の頃から自分に厳しい方だったのですね。
今でも朝から2~3Km、夜は5~6Kmも走り込みを行われているそうです。
更にそれに加えて100mの坂道を全力ダッシュすることもあるそうです。
凄まじい体力ですね。
出身高校は、大阪府枚方市にある長尾谷高校だそうです。
ただ、通信制とあることから、実際に通学されていたわけではなさそう
です。
また、通信制高校であれば、全国どこでも自由に選択できるはずですが、
その中で敢えて長尾谷高校を選ばれたのは、自宅から近かったからでは
ないのかと考えられているようです。
そのように考えると、光宗薫さんの自宅は枚方近辺にあるのかもしれませんね。
また、高校在学時に、日本橋のメイドカフェ「めいどるちぇ」で「カヲル」
名義でアルバイトをしていたそうです。
これだけの整った容姿なのだから、さぞかし人気があったことでしょう。
また、お店のコンセプトが女性客にも配慮したものだったことから、当時
イケメンと言われていた光宗薫さんは、男性客のみならず、女性客からも
人気を集めていたそうです。
きっとお店の中でもトップクラスの売れっ娘だったのでしょうね。
このことから、家計を助けるためにアルバイトに専念し、通信制の高校
を選ばれたのかもしれませんね。
そう考えると、光宗薫さんは苦学生だったのかもしれませんね。
現在も日本橋の通称オタロードから少し離れたでんでんタウン近辺にある
お店だそうです。
尚、でんでんタウンというのは、数多くの電気屋が立ち並ぶ、関西随一の
電気街のことです。
もっとも、最近では電気屋以外にも様々なお店が入っていますけどね。
オタロードは説明するまでもなく、アニメやゲームショップの立ち並ぶ
一角で、でんでんタウンから見ると裏通りになります。
メイドカフェは元より、リラクゼーションルームに、PCゲームやパーツ
など雑多なジャンルが集められた何ともカオスな空間(笑)となっており
ます。
それでは、次に光宗薫さんの経歴について見ていきたいと思います。
光宗薫さんの経歴
2011年3月に、神戸コレクションモデルオーディションで見事グランプリ
を受賞されたそうです。
このことを切欠に、彼女の芸能生活はスタートしたようです。
同年4月に、グランプリとして出演した「神戸コレクション 上海公演」では、
のちに加入することになるAKB48の派生ユニット「DiVA」のメンバーと同じ
ステージに立たれたそうです。
その後は、モデルの道には進まず、同年12月8日にAKB48劇場で開催された
『AKB48 6周年記念公演』でAKB48の13期生としてお披露目されることに
なります。
以後、光宗薫さんはAKBに所属されることになります。
なお、既に地元でNMB48がデビューしていたそうですが、彼女は地元の大阪
を本拠地とするNMB48には入らず、東京を本拠地とするAKB48でデビューされた
そうです。
東京でAKBとして活動するため、この時点で上京されたそうです。
同年12月20日に開催された「AKB48紅白対抗歌合戦」では、13期生として
唯一の出演を果たすという快挙を成し遂げられています。
その際、チーム4の島崎遥香さん・山内鈴蘭さんとともに「ハート型ウイルス」
を披露されたそうです。
劇場公演デビュー前から、週刊誌の単独グラビアやCMに出演するなど、メディア
などで「異例の抜擢」と評されていたそうです。
きっと、その才能に光るものがあったのでしょうね。
その後、2012年4月期のTBS系『ATARU』で連続ドラマに初出演したこと
を切欠に女優しても活動されていかれるようになります。
しかし、体調不良のため、同年8月24日から26日に開催された『AKB48
in TOKYO DOME 〜1830mの夢〜』では公演への参加を辞退されています。
この頃、光宗薫さんの拒食症が噂になっており、その激ヤセぶりに周囲から
相当心配されていたそうです。
その原因として、あくまで推測の域を出ませんが、以下のようなことが考え
られると言われているようです。
光宗薫さんの激ヤセの原因
・異色の新人として大抜擢されたにも関わらず、AKB総選挙で圏外になった
ことで、相当な精神的ストレスとなった
・CMやグラビアを他のAKBメンバーに奪われて思うような活躍ができな
かった
期待の新星として、鳴り物入りでAKB入りした光宗薫さんにとって、周囲
の期待に応えるほどの活躍が出来なかったことで相当のストレスになった
ことは想像に難くないと思います。
それこそ食事も喉を通らなくなってしまったのでしょうね。
恐らくAKB内で生き残るための熾烈な競争があったことと思います。
そんな葛藤の日々の中、徐々に精神をすり減らしていかれたのでしょう。
わたしには想像が付きませんが、それほどまでにアイドル業界というのは
厳しい世界なのでしょうね。
その結果、体調を壊してAKBとしての活動が困難になったものと思われ
ます。
以下の画像は当時の彼女の状態ですが、その腕の細さを見るととても
通常の体重があるとは思えません。
腕の肉付きが薄くて骨が浮き出していますね。
頬もこけていますね。
かなり危険な状態と言えそうです。
これでは拒食症と言われても仕方ないかもしれませんね。
きっとそのストイックな性格ゆえに、限界まで自身を追い詰められた
のでしょうね。
尚、この初日公演において、正規メンバーへの昇格並びに新体制移行後
のチームKに配属される予定であることが発表されています。
皮肉にもこれまでの功績が認められ、正規メンバーとして迎え入れられた
わけですね。
しかし、当人は活動休止中というのが何とも悲しいですね。
恐らくこの時点で、光宗薫さんは今後AKBとして活動していくことに限界
を感じておられたことでしょう。
その結果、同年10月24日にAKB48を辞退することを発表されています。
苦労の甲斐あって研究生から正規生にステップアップすることができた
わけですが、当人としては、自身の才能の限界を感じておられたのかも
しれませんね。
そう考えると本当に甘くない世界だと思います。
その後、同年11月24日に、自身初主演の映画『女子カメラ』が公開
されると、しばらく表舞台から姿を消されたそうです。
恐らく、拒食症と思われる症状を改善するため、その治療をされていた
のでしょうね。
その後、2013年9月上映の『劇場版 ATARU THE FIRST LOVE &
THE LAST KILL』で女優業に復帰されたそうです。
同年10月11日から20日にかけて、大阪府のGALAXY GALLERYにて
ボールペン画による個展「スーパー劣等生」を開催されています。
この時に素人とは思えない、類稀なる絵の才能を披露されたそうです。
独特のタッチと緻密な描写が光りますね。
異質なセンスの持ち主なのかもしれませんね。
まさに天才といっても良いかもしれませんね。
2014年4月4日に、フレイヴ エンターテインメントに所属したことが
発表され、以後、本格的に芸能活動を再開されています。
このように決して平坦な道のりではなく、都度試練を与えてきた芸能界
の荒波に立ち向かい、数々の苦労を伴いながらも、道を切り開かれて
きた光宗薫さんの今後に注目していきましょう。
それでは、次に光宗薫さんの趣味について見ていきたいと思います。
光宗薫さんの趣味
東京事変、椎名林檎、銀杏BOYZ、尾崎豊、相対性理論、ASIAN KUNG-FU
GENERATION、マキシマムザホルモン、くるり、Perfume、andymori、
ビートルズなど多種多様な音楽がお好きなようです。
また、2015年に入り、プロレス好きであることをTwitterで公表
されています。
格闘技ファンと明かしたことで、その後、FIGHTING TV サムライ
「速報!バトル☆メン」ゲストや「別冊!バトル☆メン」レポーターなどに
起用され、出演されるようになったそうです。
趣味をうまくお仕事に繋げておられますね。
また、両利きで、マイクは左で持つことが多いそうです。
特技は上述した通り絵を描くことで、その天才的な技法と緻密で独特の
描写が注目されています。
芸能人の書いた絵を絵の先生が採点し、先生がお手本の模範絵を描くという
「プレバト!!」(毎日放送)とその類稀なる才能を発揮されたそうです。
光宗薫さんが当番組にゲストとして出演された際に、絵の先生が「私より
うまい、天才だ、とても勝てない」と言わしめ、模範絵を描くのを拒否された
ほどだったそうです。
その時に光宗薫さんが書かれた水彩画になります。
これだけの緻密な描写を全てフリーハンドで描かれたそうです。
観察力といい、描写力といい見事という他ないですね。
また、色使いも絶妙で、先生を唸らせるほどの出来だったそうです。
先生をして天才と言わしめるのもわかりますね。
それでは、次に光宗薫さんの性格について見ていきたいと思います。
光宗薫さんの性格
既に述べた通り、ストイックで極限まで自分を追い詰めてしまうこと
が好きで、とことん自分を苛め抜くそうです。
改めて凄い方ですね。
また、プライドが高くて柔軟性がなく、臨機応変に行動することが
苦手だそうです。
体は柔らかいのに何とも皮肉ですね(笑)。
あと意外に泣き虫だそうです。
でも、泣いても決して挫けず、再び立ち上がることのできる彼女
は本当に芯の強い方だと思います。
それでは、次に光宗薫さんの家族について見ていきたいと思います。
光宗薫さんの家族
父親と母親の3人家族のようです。
現時点では、特に兄妹や姉妹の情報は出てきていないようです。
一人っ子かもしれないですね。
今の時点では、家族に関する情報はそれほど多くないようです。
光宗薫さんの彼氏
眉目秀麗で、端整な顔立ちから、「イケメン」とさえ言われる光宗薫さん
ですが、現時点ではこれといった特定の彼氏はおられないようです。
むしろ、男性より女性に好かれそうなタイプなのかもしれないですね。
テレビでもはっきりと「今まで彼氏がいたことがない」と公言されて
おられます。
また、彼女曰く「彼氏とどういう切欠で、付き合うのかもよくわからない
んですよね・・・」と、真面目な顔付きでリアルコメントされており、
どうやら本当に誰とも付き合ったことがないようです。
ですが、彼にするならどんな人がいいかと聞かれた際には、「自分の意見
を押し付けず、周りから変わっていると言われていても気にせず自分を
持っている人が理想の彼氏」と答えられていることから、恋愛願望はお持ち
のようです。
また、彼氏の存在はあくまで支えであって、恋愛中心の生活にはならない
とも仰られています。
実にストイックな彼女らしいイケメンな回答ですね(笑)。
近い将来、彼女の前にステキな男性が現れるかもしれませんね。
今後の光宗薫さんの恋の行方に注目していきましょう。
それでは最後に光宗薫さんについて、纏めて締めたいと思います。
光宗薫さんまとめ
幼い頃より家の事情で転居を繰り返し、学生時代にはアルバイトで
生計を立てながら苦労して通信制高校を終了された光宗薫さん。
そのような子供時代に体験したことが、今のストイックなまでの
彼女を作り上げたのかもしれませんね。
同時に、多少の困難なら難なく跳ね除けることができる強靭な心が
養われてきたのでしょう。
そんな過去に経験した挫折をバネに、成長を続ける光宗薫さんの
これからが楽しみですね。
幼い頃に培ったバレエの技術や、陸上で養われた強靭な足腰と精神
が今の彼女に与えている影響は殊の外大きいと思います。
彼女の原点はまさにそこにあると思います。
今も尚、毎日朝夕合わせて7~8Kmも走られていることを考えると、
常に自分を追い込み、シビアな状況を敢えて楽しんでいる方なのだと
思います。
でも、芸能界で生き残るにはそのくらいの覚悟があったほうがいいの
かもしれないですね。
さすがに拒食症を疑われるほどはマズイですけどね。
そんな、モデルオーディションでグランプリに輝いた後、鳴り物入り
で期待の新星として芸能界入りされた光宗薫さん。
その後、AKBの13期生に抜擢され、才能の開花が期待されたものの、
芽が出ず、熾烈なアイドル競争の中、正規生に昇格できないという
厳しい現実に直面されることになります。
その結果、過度のストレスを抱え、ついには体調不良に陥るまでになられ
ます。
アイドルとしての自身の限界をそこで痛感されたわけですね。
その後、アイドル活動を断念されますが、新たに女優として芸能界で身を
立てようと決意されます。
この時、期せずして正規生への昇格の話があったのが何とも皮肉ですね。
ですが、彼女はその申し出を断り、アイドルを辞める決意をされたわけ
です。
そこから、彼女は演技の世界に本格的に携わることになり、TVドラマに
映画に、バラエティ番組にと精力的に活動されていくことになります。
これからもそのマルチな才能を活かして、芸能界で輝いていかれることで
しょう。
今後の光宗薫さんから目が離せそうにありませんね。
苦労されてきただけに、これからきっと輝ける方だと思います。